司馬遼太郎の名著
「超あらすじ・司馬遼太郎の名作」なんていうエントリーを書いたら一部検索でひっかったらしく、随分大勢の方に来ていただきました。
多少(というか極端に)省略して解説しておりますので、改めて、”おいら風に”解説をしたいと思います。
●竜馬がゆく
司馬遼太郎さんの本を読もうと思ったら、まずは竜馬がゆくを読むことをおすすめします。
なぜなら”司馬遼太郎の屈折した思い”を理解する上で、坂本竜馬という司馬遼太郎に作られたキャラクターが重要な位置を占めるからです。
坂本竜馬は、司馬遼太郎がその青春を過ごした昭和という陰鬱な時代との対比としての象徴的役割です。
この小説には常に前向きな「世界に誇れる青春を過ごした日本人」として坂本が描かれます。
まずは「底抜けに明るい」坂本竜馬をご堪能ください。
竜馬がゆく
(追記)余裕があれば、土佐郷士を作る遠因(長曾我部家と山内家)を描いた戦雲の夢と功名が辻も一読されることをおすすめします。
警視庁を作った川路利良を通じて、明治初期の日本をある意味翻弄した薩摩人について描こうとしていますが、途中から川路はほとんど登場せず、まさに「西南戦争従軍日記」となっています。
「竜馬が行く」と決定的に違うのは、文中にちりばめられた「昭和という時代に対して愚痴」です。
人命軽視の傾向がすでにこの時点の日本軍(官軍)に芽吹き始め、そして昭和という”醜い時代”へと続くことの黙示録となっています。
後半は桐野利秋という人物を通していかに明治という時代が「快活」であったかを描いていますが、これも昭和という時代の「陰鬱」との対比でもあります。
通常であれば、坂の上の雲をおすすめしたいところですが、まずはこの国のかたち をご一読いただくことをおすすめします。
色々書いてあります。色々書いてありますが、一番印象に残る部分は1つ。
”ある将校の一言”の部分ですが、その一言が司馬遼太郎のすべての著作の原点となっています。
司馬自身は「何故日本はこんな醜い国家になってしまったのか」と自問自答し、そしてその昭和という時代につながる明治時代というものを取材し、そしてその取材記が彼の著作なのです。
”ある将校の一言”は、できればこの本の中で出会っていただきたいと思います。
松山出身の3人、正岡子規・秋山好古と真之の物語。最初はやや冗長気味ですが、日清戦争が始まった頃から明らかに筆が走り始めています。
旅順攻防・奉天の会戦、そして日本海海戦と、綿密な取材と択一した描写力で今までの日本人が描くことが出来なかった日本という国を表現した傑作中の傑作といっていいでしょう。
ただ前述の通り、これは明治という時代に対しての鎮魂歌でもあります。一つの時代に最大の敬意を払いつつも司馬自身が生きた「昭和」という時代の暗黒の側面が顕著になっていく様子も垣間見えます。
前述の”ある将校の一言”は、この明治という時代には絶対発せられることのない言葉であることもこの著作を通じて感じることが出来ます。
明治という「輝ける時代」と昭和という「陰鬱な時代」の対比。
単なる戦争小説としてではなく1つのジャーナリズムとして読むと、また1つ司馬遼太郎という人の憂鬱を共有できると思います。
坂の上の雲
司馬遼太郎は、遂に「昭和」という時代を描くことが無く、その人生を終えてしまいました。
彼曰く「昭和という時代を書いたら僕は死んでしまう」らしいですが、自分が青春時代を生きた「昭和」という時代を証言するのは、司馬というその人の使命だったと思います。
彼が「昭和」というものを描かなかったことは非常に残念でありますが、彼の著作からにじみ出る「昭和」という時代に対しての恨み節と、その反動ゆえの「明治」という時代の賛歌。
時代がすぎて既に平成になっていますが、彼の訴えたかったことを真剣に考えることが、私達世代の義務かもしれません。
(敬称略)
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コメント
司馬遼太郎。
没後10年が経とうとしています。亡くなった当時私は大学生でした。それまでにほとんどの司馬作品を読破しておりました。(「街道をゆく」シリーズ以外、それと「歳月」、「翔ぶが如く」以外、この二作品はどうも苦手で未だに読んでいないが・・・)
私にとって司馬遼太郎という作家は大ファンというよりも、生きる指針ともいえるくらいの存在でした。私の人生にぽっかりと穴が空いてしまったような虚脱感。
(もう司馬遼太郎作品は永遠に生まれることはないのだ)
と、思うと悲しくて、無念で、胸が張り裂けそうでした。
(これから、何を読めばよいのだろう?)
(何を生きる指針にしていけばよいのだろう?)
私はこの大学生のときの疑問に未だに答えられないのです。
私にできることは一生司馬作品を繰り返し読みなおすことでしょう。
投稿: konotori | 2005.07.03 23:13
司馬 遼太郎から学んだこと。現実をありのままに
みる、その見方ですね。思想、イデオロギー
など型にはまった考え方が現実をみて、いかに
行動すべきかにおいて大変な弊害をもたらす
ことを、司馬さんは教えてくれました。私は
一時、とはいっても二十年くらいの期間に
おいて思想を持っておりました。なんかと
いいますと自由主義思想です。「主義」で
すから思想が現実を解釈するための方法に
なってしまい、今考えるととんどもない
ことをしそうになってました。
司馬さんの見る見方は解剖学学者の養老さん
とほぼ共通していると最近きがつきました。
養老さんの書物は「売れてれいる」ので
どうせつまらないと敬遠してましたが、
「無思想の発見」を先日読み感銘。司馬さん
とおんなじだ! この見方だ! と感銘。
我々日本人は、決して思想などもっても
いけないし作ってもいけません。司馬さん
そして養老さんの書物を読んで、自分の眼で
しっかりと見て、自分の頭で考えましょう。
投稿: 澤田石 順 | 2006.02.12 20:03