【質問】1930年代の言論統制の時代,なぜ新聞・雑誌は抵抗できなかったのか?
DQN++shibuちゃんに教えてもらった軍事板常見問題で見つけたこんな質問。
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【質問】
1930年代の言論統制の時代,なぜ新聞・雑誌は抵抗できなかったのか?
【回答】
佐藤卓己著「言論統制」(中公新書)によれば,「サラリーマンだったから」.
逆に言えば,明治の自由民権運動などでジャーナリストが権力に抵抗できたのは,ジャーナリストが安定した職業ではなかったから.明治時代まで,新聞記者や雑誌編集者などの職業は,まともに大学を卒業した人達が就職先として考える対象ではなかった.政治家になるステップか,さもなければ,文士では飯が食えないための副業だった.
それが昭和恐慌以後になると,安定した生活のため,学卒者が目指す就職の対象となり,その中で言論の質もまた,変わっていった.新聞記者にしろ,雑誌記者にしろ,サラリーマンであれば自社の利益に敏感になり,また,社内での抵抗さえ容易ではなくなる.また,合資会社だった毎日新聞社,朝日新聞社が株式会社となったのは1919年頃だが,言論機関の株式会社化により,メディア(広告媒体)そのものの商品化も加速した.1925年にはラジオ放送も開始される.「言論と言う商品」を買ってもらわないといけないし,買ってもらうためには,読者(消費者)の声には敏感に反応せざるを得なくなる.そのため,右から左まで幅広い読者に読んでもらいたいという経営方針となり,そうなれば,政治的な言論統制に抵抗できないのが必然となる.そして「戦争」という情報は,広告媒体であるマスメディアにとって,とても魅力的な商品なのである.
この経営方針には,1918年の「白虹(はっこう)事件」においてメディアが権力に屈した経験も,大きく影響している.白虹(はっこう)事件とは,1918年の富山の米騒動に関する記事で,大阪朝日新聞が,「白虹日を貫けり」と表現した筆禍事件である.この表現は中国の故事で革命を意味しており,朝日は発禁処分になり,社主他,社員数人も右翼から危害を加えられた.この事件を反省する社告を朝日は出すが,その中で同社が掲げたのが「不偏不党」という言葉である.今日でも「不偏不党」に,ある種の客観報道のようなものを読み込む立場も存在するが,これは明らかな誤読である.不偏不党であるということは,政治的に偏らないという意味ではなく,右から左まで幅広い読者に読んでもらいたいという自己宣伝だった.朝日新聞社の「不偏不党」は,毎日新聞社の「新聞商品主義」と共に,新聞企業の近代化を支えた資本主義イデオロギーだったのである.
さらに,1930年代前半,左翼に言論統制が加えられたとき,自由主義者の多くが傍観し,逆にその後,1935年に天皇機関説事件が起こり,自由主義者への言論弾圧が始まったときに,今度は転向した左翼が,右翼と一緒になって,自由主義を批判した.
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